光超寺を、皆さんの心の拠り所に
 明治の初め、山口県の北海道開拓団とともに、現在の手稲山口の地に、農民の心の拠としての念佛道場の草庵を建てたのが光超寺の始まりです。現住職で四代目になります。今の光超寺を支えてくださったのは、先代の住職や門徒総代、ご門徒の血のにじむ御苦労のおかげであり賜物です。この寺を、伝道教団としての寺院活動はもちろんのこと、多種多様なイベントや地域のコミュニティーとしても役立てるとともに、寺院の本当の存在意義である心の拠り所として、皆さんが気軽に足を運んでいただける存在でありたいというのが私の願いです。

本当のよろこびや幸福は、
ありのままの自分を見つめることから始まる

 現代は、経済的にも物質的にも豊かな時代の中で、どんどん心が貧しくなっているような気がします。先人達の築いた大切な誇るべき日本人としての伝統や精神性を置き去りにして、ただ目先の経済性と豊かさだけの刹那の幸せを求め、あくせくもがき苦しんでいるように思えるのです。
 本当のよろこびや幸福を得るには、「自分の幸不幸は、他者や目に見えないのもの(霊的なものや家相、墓相など)によって左右する」という責任転嫁的な考えから開放されること、そしてありのままの自分を見つめることのできる鏡に出会うことが大事。仏教の法(教え)に、「現在の自分はすべて自らが行動した責任(業)である」という教えがあります。その教えに出会うことが、本当の自分を取り戻し、自分自身の鏡を持つことにもつながるのです。

浄土真宗の教えは、生活の中で味わえる実践的なもの
 自分自身の内面を見つめていくと、存在するのが難しい現代に、有り難いいのちを頂き、大きな陰(おかげさま)の支えがあって今を生かされているという事実に気づかされます。「ありがとう、おかげさま」という言葉は、このことに対して心の内側から感謝の気持ちがあふれ出たものだと思います。さらにその心が合掌の姿となって、素直に身にもあらわれたのでしょう。これが本当の意味での幸せであり、喜びというものではないでしょうか。浄土真宗の教えは決して難解な教えではなく、生活の中で味わうことのできる実践的な教えです。僧にも俗にも平等のお救いです。そのような教えに出会って、共々に人生を喜び多いものにしていけたら幸いと思います。

光超寺住職 拝 合掌